フック ── 体験告白型
ある日の夕方の会議で、自分が判断を保留にしていることに気づいた。
朝なら30秒で結論を出していた案件を、夕方の私は「ちょっと考えて、明日返事します」と先送りしていた。データは同じ。情報も同じ。違うのは、夕方の自分の身体だった。
外来でも同じことが起きる。10時の私と16時の私は、明らかに別の医師だ。同じ症状の患者でも、夕方は鑑別の幅が狭くなり、検査オーダーが多くなる。
「能力」が落ちているわけではない。落ちているのは、能力を運ぶエンジンの方だ。
概念導入 ── VO2max とは
VO2max(最大酸素摂取量)は、運動中に1分間あたりどれだけの酸素を体に取り込めるかの最大値だ。単位は ml/kg/min。
体重1kgあたり1分間に何ミリリットルの酸素を使えるか、というシンプルな指標。値が大きいほど、心肺機能と全身の有酸素能力が高い。
ふつう、これは陸上選手やトライアスリートの数字だと思われている。実際にはちがう。
VO2max は 誰の身体にもある数字 で、加齢で必ず落ちる。30代を過ぎると、何もしなければ10年あたり10〜15%下がる。50代の半数以上は、日常生活が「ややきつい」と感じる閾値に近づく。
判断力が夕方に落ちる、出張から戻った週は集中が続かない、会食の翌日に思考が鈍る。これらは「気合い」や「年齢」ではなく、VO2max の余力がギリギリのラインで運用されている、ということが多い。
エビデンス ── 論文紹介型
VO2max が長寿と最も強く相関することは、複数の大規模コホートで一貫して示されている。
最も引用されるのは Mandsager らが2018年に JAMA Network Open に出した報告だ。クリーブランド・クリニックで122,007人のトレッドミル運動負荷試験データを解析した。最大運動能力(CRF, cardiorespiratory fitness)が高い群と低い群を比べると、全死因死亡のハザード比は 5倍以上 開いた。
この差は、喫煙と糖尿病と冠動脈疾患を すべて足したより大きい。著者らはこう書いている。"Cardiorespiratory fitness is inversely associated with long-term mortality with no observed upper limit of benefit." 上限が観測されない、つまり高ければ高いほど良い。
これだけ強く相関する指標は、医学の中でほかに思いつかない。
経営者メタファー ── 身体は資本、VO2max は利回り
経営者は、自分の運用ポートフォリオの利回りを毎月見ている。なぜか自分の身体の利回りを見ない。
ROE(株主資本利益率)に相当するのが VO2max。売上総利益率に相当するのが、Zone 2 で動ける時間の長さ。キャッシュフロー回転に相当するのが、回復の速さ(HRV)。
このうち最も先行指標として効くのが VO2max。判断の質、出張耐性、夜の集中力、会議の最後まで尖り続ける能力。これらが「経営者の出力」だとして、その出力を支える根本の利回りが VO2max。
利回りは、寝かせていても勝手には上がらない。意図的な運用が必要だ。
計測 ── 数字を握る
VO2max は3つの方法で測れる。
1. 運動負荷試験(最も正確)。ジムや病院でトレッドミル + ガス分析。実測できる。CrossFit ジムやスポーツクリニックで2〜3万円。
2. ウェアラブル推定(最も実用的)。Apple Watch、Garmin、Polar、Whoop すべて推定値を出す。日常的にトラッキングできるのが強み。実測との誤差は5〜10%。
3. クーパー走(最も古典的)。12分間で何メートル走れたかを距離換算する単純なテスト。何も使わなくても、運動場と時計だけでできる。
経営者向けの実用線:Apple Watch か Garmin の推定値で十分。実測は半年〜1年に1度、ジムで取れば良い。日々の変動を追うのが目的なので。
プロトコル ── Zone 2 と Zone 5
VO2max を上げる運動は、生理学的にほぼ決まっている。
Zone 2(中強度・心拍最大の60〜70%): 鼻呼吸で会話が続けられるペース。ミトコンドリア量と効率を上げる。週4回 × 30〜60分。
Zone 5(高強度・心拍最大の90%以上): 全力に近い。心拍出量と最大酸素摂取そのものを上げる。週1回 × 4〜8分(インターバル)。
この組み合わせは、ノルウェーのスポーツ科学者 Helgerud らが2007年に Med Sci Sports Exerc に出した「Norwegian 4×4」プロトコルが原型。4分間の高強度 + 3分間の回復を4セット、週2回。8週間で VO2max が10〜15% 上がる。
自己実証 ── 私の数字
[著者リライト箇所] 現在の VO2max、Zone 2 ペース、Zone 5 セッション内容、週間トレーニング時間、HYROX タイムなどを表で開示。
失敗 ── 最初の3ヶ月は伸びなかった
正直に書くと、計測を始めた最初の3ヶ月、VO2max は1も上がらなかった。
理由を後で見直すと、3つあった。
Zone 5 の頻度が足りていなかった。週1必須のインターバルを、忙しさで月1にしていた。
Zone 2 のはずが Zone 3 で走っていた。会話できないペースで「軽め」と思い込んでいた。スマートウォッチで心拍を見たら、目標の上限を10bpm 越えていた。
睡眠が不足していた。週60時間くらいしか寝ていない時期で、回復が間に合っていなかった。
3ヶ月目に、Zone 5 を週1必ず入れる、Zone 2 は心拍を見て「物足りない」くらいに抑える、睡眠を週56時間に増やす。これで4ヶ月目から動き始めた。
Q&A ── 実装でよくある躓き
上がる。VO2max は心肺機能の指標なので、種目に依存しない。スイム、バイク、ローイング、エリプティカル、トレッドミルどれでも構わない。継続できる種目を選ぶのが先。
日々の変動を追う用途なら十分。実測との絶対誤差は5〜10%あるが、相対変化(上がっているか落ちているか)の信頼性は高い。半年に1度ジムで実測して校正すれば、それ以上は気にしなくていい。
ある。年齢による減衰は10年あたり10〜15%だが、トレーニングによる増加幅は10〜20%。50代でも始めれば、今のあなたより明らかに高い VO2max を取り戻せる。最大値より、加齢ラインからの「上昇分」が長寿に効くというのが最近のメタ解析の合意。
VO2max を上げる効率は、時間帯で大きく変わらない。判断力への影響を取りたいなら朝の Zone 2 が一日の波形を整える効果が強い。夕方の Zone 5 は深い睡眠を妨げる場合があるので、寝る2時間前までに終える。
落ちる。トレーニング中断の影響は早く、2週間で5%、4週間で10%程度。ただし、心肺機能の維持にはバイクの低強度ローテーションだけでもかなり保てる。完全休養より、できる種目で動く方が早く戻れる。
章末プロトコル ── 今すぐやる3つ
- 01Apple Watch / Garmin の VO2max 推定値を、今日確認する
- 02来週、Zone 2 を3回、Zone 5 を1回スケジュールに入れる
- 031ヶ月後、同じ時刻に VO2max を再確認する。0.5上がっていれば軌道に乗っている
VO2max は、身体という資本のうち、最も先に動かす利回りだ。 血圧やコレステロールは、悪化したら治療する。VO2max は、悪化を待たない。 日々測れて、運用できて、上がる。経営者にとってこれほど扱いやすい長寿 KPI は、医学の中にほかにない。
次章では、もう一つの利回りを扱う。強さ。判断を最後まで保たせるための筋力。